大悲庵のブログ

高野山真言宗大師教会

畏怖と信仰心

先に書いたように高野山真言宗の場合、「得度」をしただけでは、"本来"ご葬儀などを執り行うことは出来ません。しかしその段階で葬儀を執り行なっている方がいらっしゃいます。

その得度の段階で留まっている御仁(定年後に得度し加行する気は無)が「これから僧侶になりたい」という方々を前にして行法のさわりを指導(!)した時のエピソードを聞きました。内容は「こういう風に仏具を動かすと参列者からカッコよく見える」といったものだったそうです。1000年以上伝わる作法を畏怖の念もなくアレンジしてしまっている・・その御仁の別のエピソード。ある時、赤色の折五条(簡易的な袈裟)をつけていたため、見かねた他派の先輩僧侶が「緋色(赤色)の袈裟は一番僧階(位)の高い僧侶しかつけてはいけないものなのですよ」とやんわりと助言したそう。当然この御仁は加行をしていないので僧階を持っていません。それからずっと後、その御仁のなさる葬儀を見たことがありますが、赤色の七條袈裟(本格的な袈裟)をつけておりました・・
カッコよく見えることに終始し、畏怖がないのは信仰心がないことの裏返しに思えてなりません。