大悲庵のブログ

高野山真言宗大師教会

法話以外の難しさ

高野山の布教から静岡西山寺まで戻ってまいりました。帰宅後、疲労困憊で動けません。休む暇なく、明日からご葬儀の助法で愛知県です。

高野山での法話は布教師講習で先生方に指導いただいたように、どんなお話をしても結論は同じです。『安心あんじん』を説くわけです。(あんしんではなくあんじんです)わかりやすいお話、風景が目に浮かぶお話、ということも大切なのかなと思います。

しかし‥法話以外の部分の方が難しかったかもしれません。法話が終わるのを待って、様々な相談や質問を受けました。「密教とはなに」「真言宗はなぜ真言宗というの」「十八本山を教えて」「金剛界曼荼羅胎蔵曼荼羅の違い」等々はまだ重くありません。お身内の戒名のご相談や、親戚で高野山参りをしない若い方についてのご相談、在家の方のご自宅での勤行で護身法は組んではいけないか、etc、etc・・
中でも四国八十八か所を残すところあと少しの年配の男性、八十八周る意義を悩んでおられました。元々当方は四国遍路からこの道に入ったこともあり、自分の一番最初のお遍路で感じたことなどを一生懸命お話したところ、突然涙を流され、お帰りになりました。
自分に出来ること、お答えできることの範囲で全力で対面致しましたが、十分なご対応が出来たかどうか。法話よりも大変かもしれません。

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