大悲庵のブログ

高野山真言宗大師教会

巡礼のこと

坂東巡礼ツアーの先達をしていた経験から、修士論文のテーマは坂東三十三観音霊場を取り上げ、巡礼者、札所、先達を通して巡礼の課題研究をしました。

お四国の先達さんは先達歴何十年というベテランの方がたくさんいらっしゃいますが、坂東霊場は先達制度が当時なく(日本百観音の西国霊場秩父霊場は制度あり)、今も公式サイトには見当たらないようです。
コロナによって旅行会社の巡礼ツアーもかなり減りましたが、少しずつ巡礼に人が戻ってきたようです。東日本大震災の翌年は震災前より巡礼者が増えたというデータがありました。f:id:daihian:20240306000447j:image坂東24番雨引観音さまの孔雀をパチリ(アヒルも)

コロナにより、観光体験をオンラインに乗せていく取り組みが行われるようにもなりました。けれどもインターネット巡礼では得ることが出来ないものが確かに存在するのだと思います。巡礼に出かけることは、いわば自宅を一歩踏み出した時から「巡礼への高揚感」「巡礼に行きたくなるほどの悩み」など全てを受け止めてもらえる非日常という特性が存在すると言えます。それは札所、札所周辺だけではなく、移動中にも漂う巡礼空間なのです。また、札所の仏様の前では平等な修行者であるという聖地空間でもあります。社会的立場などは関係なくなるのです。このような巡礼空間、聖地空間という特性は、誰もが自宅を出発した時点で日常のしがらみから解放され得るという可能性を示唆しており、インターネット巡礼では得ることが出来ない絶対的なものなのだと私は思います。祈りの実践こそが巡礼であり、実践でしか体験できない空間特性を巡礼は多く持つといえます。そして先達はその空間に巡礼者が安心してお参りを委ねることが出来る、揺るぎない存在であってほしいと願うのです。