尼僧の読経は悩んでしまうと書きました
一人で法要で唱える時は尼僧の声で良いのだ、と思えるようになりました。
もちろん複数名で唱える時には声の高さを周りの男性に合わせます。複数名で読経をする時、「経頭」といって、いわば音頭を取る役目があります。ただ、この役目を自分がすると男性は声の高さを合わせづらいだろうな、と感じています。自分の声の高さだと男性の方はキー(音の高低)が低すぎてしまうようです。けれども「あ、合わせづらそうだな」と途中で声のキーを経頭が変えると声を合わせに来てくださっている他の先生方が困ってしまうと思うので、読経の途中で高さはなるべく変えないようにしています。というのも逆の立場で「経頭」の方が、女性の自分に気を遣って読経の途中で音の高さを変更なさってくださると、またキーを合わせていくのが結構大変という経験からです。
尼僧の集団加行の時は独特の高いキーの読経でした。たぶん一般の方が想像するより遙かに高い声です。本当に苦しくて、必死に高い声を出して過呼吸みたいになりました。