大悲庵のブログ

高野山真言宗大師教会

尼僧の読経

一般的に「読経の声」からイメージするのは男性の低い声で平たんに何を言ってるのか良くわからない、みたいな感じでしょうか。それが参列の方が期待される読経なのかと思います。しかしながら、やはり尼僧の読経は男性とは異なるわけで、読経について悩んだ時期がありました。加行(修行)が終わった年、高野山で僧侶の教師資格検定試験に向けた研修合宿に参加しました。その時に他の女性の読経を聞くと、無理に男性の声に似せようとしている方が結構いらっしゃいました。女性はみなさん苦労しているんだな、と実感したものです。

兄弟子にあたる静岡西山寺住職が高野山での伝法灌頂(僧侶にしていただく儀式)の最後に、大阿闍梨様からこう言われたそうです。「今から坊さんとして大事なことを教える」。僧侶になりたての儀式参加者は「どんな奥義を教えてくださるのか!」と前のめりに耳をそばだてたそう。すると「坊さんに大事なものは一に声、二に顔や」と仰ったと。参加者は一瞬戸惑ったかもしれません。これは歌手のような良い声で、ハンサムであることが大事、という意味ではありません。悲しんでいる方には寄り添うお経を、元気づけてもらいたい方には元気になれるようなお経を、心をこめて(心は顔に出ます)という教えです。

自分は男性のような声を無理やり出すことは出来ません。ご葬儀や法要で唱える時、尼僧には尼僧としてご遺族に寄り添う読経が出来るのではないか、と思ってきました。以前ペット法要でリピート指名してくださる施主様が、涙を流され「あなたのお経はいつも泣いてしまうの、ごめんなさいね」と仰いました。寄り添うことが出来たのかな、と安堵したものです。人様のご葬儀でも「男性のお経は怖い感じがして尼僧さんでよかった」と言われた時には嬉しかったです。それでも、一般的に期待される読経の声とはやはり異なるんだろうな、という気持ちは常にあるわけです。