昨年末、「臨床宗教師」の資格取得の為、大学に通っておられる真言宗の僧侶の方とお話をする機会がありました。臨床宗教師とは『(被災地や医療機関、福祉施設などの)公共空間で心のケアを提供する宗教者』といわれています(日本臨床宗教師会)。聞けば、その現場では臨床宗教師は布教活動をしてはならないとの事でした。自分にとって「僧侶が布教活動をしてはいけない」ことは、とても難しいことだと思いました。
「布教をせずに相手に安心(あんじん)を供するには、どうするのですか?」と私は尋ねました。すると、その若い僧侶の方はおっしゃいました。「布教活動をしなくとも、自分の存在そのものが既に布教なのだと思っています」お若いながらも僧侶としての矜持をみた気がいたしました。
坂東三十三観音霊場の巡礼先達をしていた頃、当時、第20番札所西明寺の田中雅博ご住職様が医師であり、お寺の隣に診療所を建て、緩和ケアを提供しておられました。ご住職様は元々国立がんセンターに勤務され、多くのがん患者さんを診察されてきたお医者様。そのような経験から医学だけでは治すことのできない、緩和ケアの患者様の苦のケア=「いのちのケア」の必要性を早くから発信しておられました。西明寺さまをご案内するたびにお客様にそんなお話をバスの中でしたものです。田中雅博ご住職様が「臨床宗教師」の育成に尽力されながらも癌でご逝去され、もう7年以上経ちます。確実にその信念は引き継がれているのだと思った次第です。
